お元気ですか?合田道人です

ベスト・セラー『童謡の謎』『神社の謎』シリーズの作家で歌手の合田道人の思ってること、日常の出来事、いろんな情報をお届けするブログです!

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「東京五輪音頭」の話

  オリンピックの開会式そろそろ! 
 「東京五輪音頭」は当時珍しい各社競作歌でした。当時あった各レコード会社の代表歌手、トップ歌手たちがレコードにし、オリンピック熱を上げようと、五輪一年前の昭和38年8月に一斉に発売されました。当時は作曲家も専属制だったのですが、さすが古賀先生だけは別格だったんでしょうね。NHK制定曲となり、宮田隆が作詞しています。そのくらいまでに、日本は東京五輪に賭けていたわけです。
 古賀先生はこの歌を三橋美智也さんを想定して書いたそうです。キングではもちろんトップ歌手だった三橋さんが希望通りにレコーディングし、テイチクは三波春夫さん、ビクターが橋幸夫さんです。この時期の「紅白」のトリを見てみると、この歌が生まれた前年の男性トリが三橋さん、この歌が生まれた年とオリンピックの年のトリが三波さん、翌年は橋さんですから、すごいメンバーが歌ったことになります。さらに東芝が世界中に「スキヤキソング」として「上を向いて歩こう」をヒットさせていた坂本九ちゃんでした。九ちゃんの後ろで掛け声をかけているのが九重佑三子も含むパラダイスキングだったそうです。
 さらに前年同じ日にデビューしていきなり大スターの道を歩んでいた北島三郎と畠山みどりはデュエットでコロムビアから発売しています。北島はクラウンなのでは? いえいえ、まだクラウンという会社はできていません。昭和38年12月にサブちゃんはクラウンに移籍しましたが、クラウン盤の「~五輪音頭」は発売されていません。もうひとつの会社はポリドールです。ポリドールは当時、園まりと西田佐知子、青山ミチなどポピュラー系歌手しか在籍しておらず、歌ったのは「涙の酒」「独航船」などをあとでヒットさせる大木伸夫と新人の司富子が抜擢されました。
 ポピュラー歌手(たとえばピーナッツや西田、弘田三枝子ら)が同じ歌を競作することはあっても歌謡曲の同じ歌を競争することはあまりなく、結局三波春夫がよく歌い、三波のトレードマークの一曲になるのです。これは大阪万博の「世界の国からこんにちは」のときもそう。このときも九ちゃんや弘田三枝子、西郷輝彦ら各社のトップスターが歌ったのですが三波の独走となりました。しかし僕は歌手協会の「歌謡祭」で橋さん、畠山さんにこれを歌っていただいたことがありました。
 新幹線ができモノレールができ、それにもうひとつ、ゴミの収集車が走るようになったのもこの五輪のおかげだったそうです。それまでは生ゴミもそのまま燃やしたり、道端に捨てられたり。さぞかし悪臭も漂っていたと思います。
 さあロンドンオリンピック、スタートです!


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-1 Comments

面子師範 says..."歌は世に連れ、世は歌に連れ‥"
まあ歌は世に、世は歌に連れますような‥

東京オリンピックは授業中も見たよ!先生のお図らいでした。こんなめでたい事(日本開催)は、ないだろうとかで‥

さてオリンピックも戦争も華々しい歌でした。

歌は心を一つにさせる。


近くのおばあちゃんが云った。『あの戦争の頃の方がよかったかも‥』


最近は、親子や家族での悲惨な事件、学校でのいじめ多発。う~む。うなづける‥


歌で社会を明るくさせる事が出来るなら急がれる。


2012.07.28 11:53 | URL | #- [edit]

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