お元気ですか?合田道人です

ベスト・セラー『童謡の謎』『神社の謎』シリーズの作家で歌手の合田道人の思ってること、日常の出来事、いろんな情報をお届けするブログです!

なぜ琵琶湖底から発見されたくいから年代が割り出せたのだろうか?

  琵琶湖底にある下坂浜千軒遺跡で、中世に人が打ち込んだとみられるくいや石材が見つかったそうです。
 集落の一部と墓地とみられるそうなのですが、すごいと思われるのは、くいの年代分析や文献から1586(天正13)年に起きた天正の大地震による地盤沈下で沈んだものらしいと判断されたことです!
 以下は考古学の林博通教授の話。「琵琶湖には地震や津波などで沈んだとされる湖底遺跡が12カ所あるが、年代と水没原因の両方が判明したのは初」。これはすごいこと。
 天正の大地震はマグニチュード(M)7・8と推測されるもので、長浜城が倒壊、城主だった山内一豊の長女与禰もこの震災で死亡したといいます。  
 発見場所は長浜港南側の沖合、約600メートルで水深1-3メートルの湖底。水没して枯れたとみられる自然木やくい、加工した石材などが見つかったといいます。1952年に琵琶湖の水位が下がった際、近くで井戸枠が見つかったこともあり、これは集落の跡とみられるといいます。
 さて、どんな方法で年代がわかるのか? 謎です。
 今回は見つかったくいを放射性炭素年代測定法で調べるという方法でした。その結果、1470-1660年に伐採されたことが判明しました。しかし16世紀後半から琵琶湖の水位には大きな変動がないことが明らかになっており、さらに天正の大地震で長浜市周辺が大きな被害を受けたということから、地震による地盤沈下で水没したと判断された模様です。
 さらに林教授は「天正の大地震がきっかけとなり沈んだのだろう。琵琶湖の湖底遺跡の中で、明確に地震で沈んだと言える初の例で貴重だ」と話しています。
 何か歴史的な謎の解明のニュースにわくわくしてしまいます。


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1 Comments

今朝雄 says..."地震は"
今も歴史にも、地形や人々に甚大な変化を与えたのですか。

さらに十数年後は人災、関ヶ原‥


地震のメカニズムなど当時の人々はどのように捉えていたのだろう。
2011.09.14 05:37 | URL | #- [edit]

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