今日は岐阜に行きま~す
今日はこれから第一興商チャンネル「歌のグラビア大全集」の録画撮りがあって、それから仕事で岐阜に行って来ま~す!
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YKさんから、コメントありがとうございます。昨日のレコーディングについてですが・・・。今度のCDはボックスの中のボーナストラックになります。BMG発売の「愛唱歌、抒情の世界」のようなボックスで、童謡や唱歌、抒情歌を由紀さおりさんやダーク・ダックス、鮫島有美子さんなどだけではなく、ひばりさんや島倉さんといった演歌の方からサッコやまりさん、倍賞さんや吉永さんなども歌っている豪華なアルバムをめざし選曲解説します。僕はそのDICK6のボーナストラックのなかでの収録となります。テレビCMも流れますからお楽しみにね。
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「第34回 日本歌手協会歌謡祭」のチラシが出来上がりました。切付ご購入の方は、(03)3272-1620・・・歌手協会です。合田道人のブログを見ました・・・と言って下されば、少しでもいい席が回って来る気がいたします。(笑)
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今日は歌手協会の10月3日、4日に行われる「歌謡祭」の記者発表でした。ペギー葉山会長、水前寺清子、田辺靖雄副会長、原田直之理事長、実行委員長のあべ静江さんと構成の僕が会見にのぞみました。
僕は今回の見所を説明させて頂きました。今回の歌謡祭は中越、能登地震のチャリティーです。一人でも多くの方々が歌を聴きながら、チャリティーに参加してもらうのが趣旨です。
成功するように楽しみにしています。なお今日から切符は発売しています。どうぞ皆さん、たくさんのご来場よろしくお願いします。
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さきほど3年前ぐらいに出たNHK=BS「さいたま童謡フェスティバル」が再放送されていました。完全にこの3年でふけた? さっき水前寺さんには「合田君、若返ったんじゃない?」と言われてうれしかっただけに、ちょっとショック!?(笑) テレビでは意外と素敵な衣装(あれは借り衣装だと思うけど)、「浜千鳥」と「青い目の人形」を埼玉の歌として歌ってました。ごらんになりましたか?
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そろそろ娘たちの夏休みも終わりに近づいてきました。
上の娘の夏休みの自由研究が『童謡の謎』のテーマになりそれが本になったわけですが、今年の下の娘(小六)の作品は、うちわ作り。
「明日は明日の風が吹く」
…まあ6年生にしては、なかなかいい字がかけました。ご披露です。
娘が「ほんとにパパって親ばかだね」と笑っています。
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昨日は午後から夜中まで六本木のスタジオで次のBMGでのアルバムのレコーディングでした。
「千の風になって」「涙そうそう」「少年時代」、それに妻吹俊哉の「愛ひとつぶん」など新たな愛唱歌というべき歌を中心に歌いました。ピアノは周平が担当しましたが、「涙~」「愛~」は、最初にクラシックの名作をバイオリンで奏で歌に入るという編曲をしました。
そして15歳、この「童謡の謎」のきっかけを作った娘の文がバイオリンを弾きました。はっきり言って素人なのでちょっと心配でしたが、父娘共演の企画として頑張りました! いい思い出になりました。10月中には発売になると思います。
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そうでした!さっきはこの間(25日)のNHK「いのちの謳歌コンサート」で歌った「花の街」を倍賞さんが歌っていたというはなしをしましたが、昨日(26日)は演歌の、♪私の大事なだんな様……の三船和子さんとご一緒のステージで、童謡を歌ったんです。実は三船さん、最初は童謡歌手になりたかったそうですよ。昼の部のステージでは、三船さんが今住んでいらっしゃる八王子の童謡を。八王子がこの歌の古郷であると言われる「ゆうやけこやけ」をお客さんとみんなで歌いました。夜の部のステージでは、公演場所が埼玉だったこともあり、埼玉に関係している童謡として「浜千鳥」をデュエットしました。いい声なんですよ。なかなか三船さんは・・・。あったかさもあってさすが母親って感じで,童謡を歌ってくれました。なぜ浜千鳥が埼玉の歌なのか? これは30日のNHKBSの「さいたま童謡フェスティバル」、僕は歌と童謡博士として出演しますから見てくださいね。
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さきほどBSで、サッコ(伊藤咲子)と倍賞千恵子さんの共演のビッグショー、きっとこれは昭和51~2年のものだろうけれど再放送されていました。今、ふたりに童謡をステージで歌ってもらっている僕ですが、しっかりと千恵子さんもサッコもこの番組で唱歌や童謡、愛唱歌を歌っていました。それにしてもふたりとも、若いこと若いこと・・・。サッコと千恵子さんの「花」の競演はなかなかでした。サッコの「どこかで春が」も聞き応え十分。倍賞さんは先日僕がNHKで歌った「花の街」を美しい声で歌っていました。やっぱり心の歌は最高ですね。明日はBMGでのレコーディングです。今日はピアノとヴァイオリンとの合わせ(今日だけでしたが・・・)がありました。いい歌を心を込めて先輩たちに負けないように歌ってきます。また明日レコーディング風景はお知らせします。
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今日は先日のひろしまでのコンサートがNHKでオンエアーされていた模様です。こんなうれしいレスをありがとうございました。ふじさん。
件名 : 感激です!
今NHKで放送されてる広島でのコンサートを見てます。何年ぶりでしょう・・合田さんの姿を見るのは。「釧路にて」を歌う姿を(あれはドリフだったかなぁ?)お見かけして以来です。新聞の連載の名前を見て、あれ~?そこから広島でのコンサートを知り、今日TVを見てます。大好きだった合田さんのその後を知らなかった私には、思いもかけない形で歌まで聴けて感激です!昔より貫禄がありますね。でも目はそのままだし、聞き覚えのある声で嬉しかった~!
長々とコメントなんだかどうなんだかの文で失礼しました。どうしてもこの興奮を伝えたかったんです。
ありがとう。でも「ドリフの全員集合」で「釧路にて」を歌って初出演したのは恐らく1980年の2月ですから、もう27年前の話しですよ。何だカンダやってここまで生きてきましたよ。それにしてもあれ以来・・・とは。昔より貫禄あって、まあ当然でしょう。だってあの頃は18歳に成り立て。今年12月で46歳ですから・・・合田も。でもこういうコメント、正直うれしいです。またどんどんとコメントしてくださいね。ありがとう。新聞連載も読んで下さっているようで・・・うれしいです!!
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先日10刷りになったばかりの文庫本の『童謡の謎』の11刷が早々と決まりました。やっぱり新聞連載のおかげだと思います。さらに第3弾のピンクの表紙、単行本では『童謡の謎3』(表紙はグリーン)、文庫本は『童謡なぞなぞ』も増刷されました。まだ読んでいない皆さん、どうぞ読んでくださいね!
今月は、あと来週NHK(25日と30日)2本、歌手と司会、童謡博士として登場しますのでお楽しみに。
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今日(もう昨日か・・・)は、歌手協会の歌謡祭の曲目の打ち合わせで、何人かの方と電話でお話しました。
中西圭三さんと話をしました。阿久悠さんを偲んで、今回歌ってもらいたい歌として沢田研二さんの「時の過ぎゆくままに」はどうだろうか? という僕の提案に、彼は「光栄です!」。確かにアルバムにも収録しているけれど、ビックバンドで歌う圭ちゃんのジュリーは最高! だと思いますよ。そのほかにも、4回全公演に出てもらうので曲目もいろいろ話し合ってます! 「時の過ぎゆくままに」以上のサプライズ選曲も飛び出してきそう・・・。現時点で「WOMAN」は歌わないことになっていますが・・・。
次に電話をくれたのは、フィンガー5の晃くんです。彼とは同じ年齢ですが、もう僕が小学生の頃からの大スターです。「個人授業」「学園天国」「恋のダイヤル6700」の中から好きな歌を・・・と言ったら、迷わずに「恋のダイヤル~」を選んでくれましたよ。この歌好きでしたね。「ハローダーリン!」って。
実は彼とは、僕がデビューした当時、同じレコード会社(SMSというレコード会社があったんです・・・ルミ子さんやアグネス、今回出てくれる北原ミレイさんや桑江知子ちゃんもいました)だったんですね。27~8年ぶりです。当日は元気に歌ってくれることを期待しています!!
さらにシャンソン界の大御所、芦野宏先生からも直接お電話を頂戴しました。ピアノ一本で何を歌って頂こうか? 思案の末、最終的に「カミニート」「パパと踊ろうよ」、そして今回から会長になられたペギー葉山さんのデビュー曲で、当時競作として芦野さんも出された「ドミノ」の3曲が残りました。
ペギーさんにも久々に「ドミノ」を歌っていただきたいとも思っているので・・・すると芦野さん「まかせますよ」と嬉しいお言葉。今年の歌謡祭は、いつもとひと味、いえ二味も三味も違う装いになりそうです。チケット発売は30日からです!! こちらでも受け付けます!全出演者はこちらです。http://www.nkk.or.jp/歌謡祭タイトルをクリックして下さい。
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8月15日、終戦記念日。記録的猛暑の中、62年目の夏が訪れました。僕の「本当は戦争の歌だった 童謡の謎 CD付」は戦後60年の年に上梓した本ですが、じわじわと売れ続け、今年の夏もこの本とともにラジオやテレビ、取材などを受けました。http://doyononazo01.blog97.fc2.com/先日は3日間に渡り、J-WAVEの番組に出させて頂きました。
♪汽車汽車ぽっぽぽっぽ……は、最初「兵隊さんの汽車」というタイトルで、♪ぼくらをのせて……ではなく、♪兵隊さんを乗せて……という歌詩だったことや、昨年の中学受験の有名私立中学の入試問題にも使われた「かもめの水兵さん」の文章から、そこに秘められていた母親としての戦争への嘆きなどを話しました。
ここのところ、毎日のように戦争の話が取りざたされています。憲法9条の話もよく出てきます。まず日本人が誇れること、それは62年間戦争に参加していないことなのです。あの時代、戦争は間違っていた……と結論付ける人もたくさんいます。確かに無意味な戦いでした。そのために尊い命を落としたたくさんの人々がいたことを忘れてはなりません。しかしあれは時代だったのです。私たちがこれからやらなければならないこと・・・それは戦争というものへ日本人は絶対に足を踏み入れてはならないことなのです。誇りを100年、1000年、いや未来まで長く続けて行くことなのです。
62年目の夏を迎え、今もしも自由を奪われ、大切な人と別れなければならないことをよく肝に命じたいと思います。それが命令されるのです。そう考えるとおのずと非戦の心をもたずにはいられなくなります。
真剣に考えなければならない、大きな大きなテーマなのです。
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神宮外苑の花火大会。16日は娘の誕生日だったこともあり、実に久しぶりに(もう十年ぶりぐらい?)に子連れで花火大会を見て来ました。
まあ何しろすごい人でした。
さて、「花火」といえば、あの♪どーんとなった 花火だ きれいだな……という童謡、いや唱歌があります。
これは昭和16(’41)年に文部省が発行した国民学校、今の小学校の2年生用教科書にのりました。この年は日中戦争4年目、とうとう暮れ近くには真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発します。国民学校とは、お国のために、つまり戦争のために子供であっても国民のひとり、一人一人が日本国のために鍛錬しようという意味合いから作られた学校です。当然、習う歌も戦争に通じています。
同年、国民学校一年生で習うことになった唱歌に、今もおなじみ「うみ」があります。
♪うみにおふねをうかばして・・・そうです、早く大きくなって海軍兵になって、♪いってみたいなよそのくに……攻め込みたいという意味が隠されていたことは、ぼくの「本当は戦争の歌だった 童謡の謎」(童謡の謎シリーズ第5弾)に書きました。
同じようにこの「花火」にもそんな意味が込められています。空軍によって、♪どんとなった……そう、爆撃を意味していたのです。そして同時に勝利の花火を上げるために、みな空に向かって羽ばたこうという意味を模していたのです。子供たちにも小さい時から戦争への道をしっかり教育させるための唱歌だったのです。
こうやって歌によって子供を、またおとなたちもいつのまにか、自然と、何の疑いもなく戦争へのみちへ確かにしっかりと歩んで行ったのです。二度とそんな過ちを犯さないために、私たちはほんとうの意味での戦争の無意味さを訴えなければならないのです。
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少しでも、見た目だけでも涼しくなるように・・・と、テンプレートを替えてみました。お盆中はブログランキングで「その他」の部門、謎http://blogranking.fc2.com/rank/420700_1.html、さらに、学門文化芸術部門http://blogranking.fc2.com/rank/391300_1.htmlで第1位を頂きました。和書コーナーでも初のベストテン入りだった模様です。http://blogranking.fc2.com/rank/110100_1.htmlほんとうにありがとうございます。これからもよろしく!です。また後程・・・これから歌手協会の歌謡祭の会議に行ってきます。
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死者がでるほどの猛暑、何だか変な夏ですね。昨日(8/15)は、とうとう40度を超えた所、それに何十箇所も今までの観測史上、最高の気温をマーク、記録を塗り替えました。私は北海道釧路市の生まれです。17歳のデビュー曲も「釧路にて」という抒情フォークでした。(ビクターから発売のアルバム「童謡のヒミツ」に復刻されています!)
さて、その釧路なんですが、例年なら今の気温は21度とか22度とかだと思うのですが、なんと昨日は35度を超えたというのです。まったくもって異常気象です。北海道は暑くないからクーラーなんてものないんですよ! 大丈夫かな? ふるさとの人たち。もしも釧路の人で、このブログが目に入った人いたら、状況を教えてほしいです。どんな感じでしたか? 東京は今日は昨日以上の気温になるとか? 「うだる」という言葉が身にしみています。それにしても夜中、朝方に起こった関東の地震も何だか、やけに不気味な感じがしましたよね~
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ひどい暑さです。皆さんも大丈夫ですか? 水前寺さん(チータ)から電話頂いて「こりゃあ、おかしいよ。倒れる!」って言ってましたが・・・。そんなこんなで、昨日(13日)、家族で「東京サマーランド」なるプールに行って参りましたが、人、人、人・・・で、最初は入場制限で入れるまでボーリングなんか久々にやって。これまた疲れてしまいましたが、楽しい家族団らんでした。
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さあ、もうひとつ質問に答えましょう。なぜに山の歌、それも外国曲、それも関係している歌にここ10日の間に質問が入ってきたのでしょう?
質問者は同一人物ではないようですが・・・。
>童謡、というか唱歌(?)に「雪山賛歌」という曲があり ますが、この曲の元になったものはアメリカの「クレメンタイン」と いうものだそうです。なぜ「クレメンタイン」が雪山賛歌になったの でしょうか。教えてください。
たまたま昨日(11日)のNHK[夏の紅白」こと「思い出のメロディー」でダーク・ダックスが歌った歌です。そこで下の「アルプス一万尺」の所でも登場する京都大学山岳部を作った西堀榮三郎さんが作詩した歌です。西堀さんは第一次南極越冬隊隊長です。と、いうことは、この歌は「南極の雪山を歌った歌なのか?」。いえいえ違います。では「クレメンタイン」が「雪山讃歌」になったいきさつを話しましょう。
南極越冬隊は昭和32(1957)年、今から50年前にスタートしました。さらにこの歌が「歌声喫茶」を通じ、ダークの歌声で大ヒットし、その年の「紅白歌合戦」に登場するのは2年後の事でした。この歌がこの詩ではなく「いとしのクレメンタイン」として日本人に耳なじんだのは、1946年製作のヘンリーフォンダ主演の映画「荒野の決闘」の中で使用されてから。ところがこの歌はアメリカ民謡としてすでにアメリカではよく知っている歌でした。クレメンタインとは女性の名前でこの歌の主人公の娘です。娘の死を悼んで歌う歌だったのです。
ではなぜにこれが山男の歌になったのか? それも「荒野の決闘」が製作される20年程前、大正末期にこの日本詩は西堀さんによって書かれていたのです。ではなぜこの曲を西堀さんは知っていたのでしょう。彼の学校、京都第三高等学校(のちに京都大学に併合)にはエルダーという外人英語教師がおり、生徒たちにこの歌を教えていました。大正15(1926)年冬、西堀さんら仲間は群馬県嬬恋の鹿村温泉に行きました。ところがいざ温泉に着くと猛吹雪。旅館で足止めを食ってしまいました。そのとき西堀さんは「いつも先生に教わっているあの歌に詩をつけて、“京大山岳部”の歌を作ろう・・・」と、皆を励ましながら、♪雪よ岩よ われらが宿り……と製作したのです。この話は、今回発売の8枚組CD-BOX「ともに歌った日々 うたごえ喫茶大全集」http://doyononazo39.blog99.fc2.com/に解説しています。なおCDではダークではなく、フォーコインズの歌声で収録しています。
なおこの秋にBMGから発売の6枚組CD-BOX「抒情」(タイトル予定)では、ダークで収録する予定です。
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「アルプス一万尺」にこんな質問が来ています。
合田先生
はじめまして。先生のウェブサイト、http://www.office-goda.co.jp/nazo/a/で、
~アルプスを歌った歌だったのです。実際、外国曲に京都大学の山岳
部の人間が詩を施したのです。
> と記されていますが、どのような根拠から、おっしゃっているので
しょうか。実は小生、京大山岳部OBなのですが、80歳くらいまでのOBいろ いろに聞いても、誰も知らないのです。(調べ尽くしているわけではないのです が)
ありがとうございます。この歌はもともと外国曲であること、このアルプスが日本アルプスの歌であることは、単行本「こんなに深い意味だった 童謡の謎3」、文庫本「童謡なぞとき」にも書きました。そしてその本にも書いたとおり、「この詩は、京都大学の山岳部の人間が作ったという説もあるのだが、実際は不詳のまま」なのです。
「みんなのうた」の元プロデューサーや、童謡研究の先生たちも、「これは恐らく京大の~」ということで、実際誰が作ったかはわからないままです。私は作者がひとりだったとは、到底考えられないのです。と、いうのは、この歌には9番まで歌詩があるとされていますが、実際分かっているだけで29種類の歌詩が存在しているからです。ましてやレコーディングや物に書き止めていなければ、歌詩が自然に代わって行くことも考えられます。
1.アルプス一万尺小槍の上で アルペン踊りを さあ踊りましょ
2.昨日見た夢でっかい小さい夢だよ 蚤がリュックしょって富士登山
3.岩魚釣る子に山路を聞けば 雲のかなたを竿で指す
4.お花畑で昼寝をすれば 蝶々が飛んできてキスをする
5.雪渓光るよ雷鳥いずこに エーデルヴァイスそこかしこ
6.一万尺にテントを張れば 星のランプに手が届く
7.キャンプサイトにカッコウが鳴いて 霧の中から朝が来る
8.染めてやりたやあの娘の袖を お花畑の花模様
9.蝶々でさえも二匹でいるのに なぜに僕だけ一人ぽち
10.トントン拍子に話しが進み キスする時に目が覚めた
11.山のこだまは帰ってくるけど 僕のラブレタ-返ってこない
12.キャンプファイヤーでセンチになって 可愛いあの娘の夢を見る
13.お花畑で昼寝をすれば 可愛いあの娘の夢を見る
14.夢で見るよじゃ惚れようが浅い ほんとに好きなら眠られぬ
15.雲より高いこの頂きで お山の大将俺一人
16.チンネの頭にザイルをかけて パイプ吹かせ 胸が湧く
17.剣のテラスにハンマー振れば ハーケン歌うよ青空に
18.山は荒れても心の中は いつも天国夢がある
19.槍や穂高はかくれて見えぬ 見えぬあたりが槍穂高
20.命捧げて恋するものに 何故に冷たい岩の肌
21.ザイル担いで穂高の山へ 明日は男の度胸試し
22.穂高のルンゼにザイルを捌いて ヨ-デル唄えば雲が湧く
23.西穂に登れば奥穂が招く まねくその手がジャンダルム
24.槍はムコ殿穂高は嫁御 中でリンキの焼ヶ岳
25.槍と穂高を番兵において お花畑で花を摘む
26.槍と穂高を番兵に立てて 鹿島めがけてキジを撃つ
27.槍の頭で小キジを撃てば 高瀬と梓と泣き別れ
28.名残りつきない大正池よ またも見返す穂高岳
29.達者(まめ)で逢いましょ また来年も 山で桜の咲く頃に
これが29番までですが、たとえば25、26はともに、♪槍と穂高を 番兵において……と始まります。ほかから見て、これはひとつの歌詩にあとで後ろの部を改めたと考えられます。25では“花を摘む”というのどかな詩になっているのが、“キジを撃つ”になっているのは戦争開始後の歌詩とも思われるのです。
ではなぜ京大生が作ったと言われたのでしょうか?
火のない所に煙は立たぬですからね。ただ80歳ぐらいの人まで聞いて下さったということなら、やはり違うではないかとも思われて来ます。
この歌に詩が施されたのは戦前だとされています。この歌がアメリカなどで歌われはじめられたのは1700年代の中盤から後半にかけて、だと言われ、日本には鎖国後にキリスト教普及などでメロディーが輸入されたということになります。京大の設立は明治30(1897)年、山岳部は西堀さんや今西さんが設立したとされるます西堀栄三郎、今西錦司は昭和2(1927)年の京大卒業。生まれは明治35(1902)年(西堀は翌年1月生まれ)だから、存命ならば105才です。お調べの現在80才の人たちは、ちょうど西堀さんたちが卒業した頃に生まれた計算になります。と、いうことは戦前の歌ということになれば、これが太平洋戦争(1941年開戦)をさすか、日中戦争(1937年開戦)をさすか、定かではないものの、作った人たちが存命なら、だいたい90代から100才という範囲になります。現在80代までの方が山岳部に入った頃には、ほとんど詩は出来ていたと思われるのです。
言われでは、京大山岳部が作った替え歌で、槍ヶ岳から穂高を縦走して上高地で終点になる登山の情景だったらしいとのです。やはりそこに京大の天文台があることも、大きな理由になっているようです。さらに戦時中に登山が出来たのは学生であったこと、この周囲を登山する回数からして京大が一番有力なことなどがあげられます。また作った本人が戦争で亡くなっているという考えもあります。恐らくそれが一番合っている気がしてならないのです。しかし、まことしやかに京大の歌とされているのは、やはり根拠より言い伝え、噂と言えども、火のない所に煙は立たない・・・のです。
私はこの素敵な今では意味もわからぬまま、童謡としても歌われているこの歌が噂だけではなく、京大山岳部の歌として認められればいいと思っている一人なのです。きっと証拠(歌詩を書き写したりしていなかったため)がないため、これは作者不詳の歌になりました。しかし、ここまで歌われ続けられてきた歌ですから、もうひとつ、京大山岳部の詩でないのなら、ほかに「私が作った歌です」と名乗りでる人がいていいはずでした。この歌が一般的になるのは1960年代の「うたごえ喫茶」のときです。実際、そのとき作者不詳として歌われていた歌、たとえば「北上夜曲」「北帰行」「もずが枯木で」などはそのときに作者が判明しているのです。いくら外国曲とは言っても、作者は生きていたら分かったのです。そうです。あとで書き記すもうひとつの質問、アメリカ民謡「クレメンタイン」が「雪山讃歌」となり、作者が判明したように。実はさっき出てきた西堀さんなのですが・・・。 これも後輩たちには鼻の高いことでした。一般に「雪山~」がダーク・ダックスによって歌われ大ヒットするのは、1959(昭和34)年ですが、生きていたからこそ西堀さんの作品だと分かったのではないでしょうか?
しかし、京大生から登山者にこの歌は知られ、読み人知らずの歌として生き続けてきた。「アルプス~」の作者がもしも京大生だとしたら、西堀さんがこの詩を書いていたことは知っていたかもしれない。“第2の雪山讃歌”作りも結構簡単に考えられたのではないか?
私はきっと、京大山岳部でその後、戦争にいきお国のために命を捧げた兵士の作品だと思っているのです。「うたごえ~」ブームの時から、京大山岳部野の歌とまことしやかに言われていたのは、そのとき「これは京大の山岳部が・・・」という話になったためだと思われます。しかし証拠不十分だったのでしょう。
はっきり申し上げて、そこまで私はまだ調べがついていないのですが、質問を下さったMさん、きっと80代以上の人のこと、それも戦死という最期を遂げた人の中に、このうたの作者がいる気がしませんか?
とりあえず私見なのでHPでは、「外国曲に京都大学の山岳部の人間が詩を施したのです」を、「施したと言われています」に書き換えておきましょう。でも調べたいですね・・・。もっと、この歌の謎。
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今日で520人が犠牲になったあの日航ジャンボ墜落事故からもう22年になるのですね。北海道札幌のテレビでレギュラー出演していた九さんの番組には何回かゲストに入れて頂きました。デビューの頃、マネージャーに取材などでは「目標にするのは九さん」と言うようにと言われていましたが、実際お会いしてからはそれが普通になりました。今ぼくが頑張っている歌手協会の理事もおつとめでした。もしお元気だったら、今もきっとご一緒に協会のことをやらせていただいているかもしれません。昨日の夜、墜落現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)のふもとを流れる神流川で遺族らが灯籠(とうろう)を流し、痛ましい事故の再発防止と、はかなく散った多くの犠牲者の冥福を祈りました。
そして墜落時刻の6時56分が近づくと、参加者が歌ったのは童謡の「しゃぼん玉」だったのです。「この歌は命のはかなさを歌ったものだ」という理由からも取り上げて下さったそうです。僕が書いた「童謡の謎」からこの話は、一般に広まって行ったと言われ、感謝しました。先日も書いた、沢田知可子がステージで「しゃぼん玉」を歌うきっかけになったのも、僕のCDだったと聞いて驚きましたが、この歌に込められている命の大切さ、奥深さがきっと人々に通じているのだと思うのです。坂本九さんの曲「見上げてごらん夜の星を」をペンライトをゆっくりと振りながら歌い上げたそうです。
最近、思うのですが、童謡イコール子供の歌というのは、違うのではないか? と思うのです。愛唱歌、心の歌、童(わらべ)が歌ってもいい歌・・・というものではないかと思うのです。そういう点から言えば「見上げてごらん~」も、今月レコーディングする「千の風になって」も、まぎれもなく童謡、こころの歌ではないでしょうか?
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おかげさまで相変わらず、「童謡の謎」シリーズは店頭から売れているそうです。文庫本の「案外知らずに歌ってた 童謡の謎」、つまりこのシリーズの第1弾ですが、この夏にまた増刷され、今店頭には第10刷が並べられています。4月からの新聞の連載の開始で、はじめてこの本に出会った人たちが買って読んで下さっているのでしょうか? ありがとうございます。またメールにて歌への質問も来ているので、この場を借りてまたお答えしていきましょう。何はともあれ、感謝です。
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気象庁によると、今日の最高気温は群馬県館林市で38・3度に達したそう。東京・練馬区では37・6度、今日は練馬からお客様が来ていたので、大丈夫だったのだろうか? とちょっと心配。先日、雪村さんと一緒に行った甲府市でも37・3度など、関東甲信地方の各地で今夏の最高気温を記録したそうです。熱中症や水の事故も大変多かったそうです。皆さんもお気をつけ下さい。明日も暑いのかナ~?
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先月7月の終りに、上の娘と会社の子達と急遽、中国北京に行ってきました。娘が「パパ、万里の長城、行ってみたくない?」と言ったので、中三なのにまだ親父と旅行してあげよう・・・というその心に感動して行くことにしました。一日目は成田から北京までの中で機内食を食べて、ホテルへという感じでしたが、翌日はまずパンダ動物園に行き、
午後からはお待たせの万里の長城です。
感動的でしたよ。そう、なんて言えばいいかな? その自然の雄大さと、そこにうごめく何とも言えない空気。
夜は北京ダックを食べて、
雑技団を見に行って
また翌日は天安門広場や天壇公園、ラストエンペラーの舞台、紫禁城などを回って、あっというまの三泊四日でした。
この夏はダンボール入りの肉マンやらなにかとせわしい話題ばっかりの中国でしたが、以前行ったときに比べ、その街の活気、成長ぶりは実に目を見張るものでした。
今年は盧溝橋事件を発端にし開始した日中戦争から70年、日中友好から35年、そして来年は北京でのオリンピック・・・意義ある年の訪中でした。
競技場はそろそろ完成。来年2008年8月8日に北京五輪は開催されます。
歴史の重さ、平和への願い・・・ここの所、わざわざではないのですが、そういった所に行っているような気がする。ちょっと不思議だ。
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皆さん暑いですね。おかげさまでとうとう今週の謎ランキング、投票結果1位を頂きました。皆さんのおかげです。
http://blogranking.fc2.com/rank/420700_1.html
さて拍手のところに「いつ、中国のお話を書いてくれるんですか?」
と、コメントしてくれたKさん。はい。お待たせしました。あとでアップしますので・・・。
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10月3,4日に五反田ゆうぽーとホールで開催される、(社)日本歌手協会主催、新潟県中越沖地震、能登半島地震被災者支援チャリティーショー「第34回歌謡祭~負けないで! ここに歌があるから」の出演者、司会者が10日、歌手協会から決定発表されました。http://www.nkk.or.jp/歌謡祭タイトルをクリックして下さい。
なお、構成は私、合田道人。司会は3日が水前寺清子さんと私、4日があべ静江さんと私。出演者は次のとおり。
10月3日昼(司会)水前寺清子、合田道人(出演)青戸健、あべ静江、安藤まり子、石橋正次、大下八郎、大津美子、尾崎紀世彦、神楽坂浮子、金沢明子、五島有紀、コロムビア・ローズ(初代、二代目、三代目)、笹みどり、新谷のり子、芹洋子、千昌夫、田川寿美、田端義夫、多摩幸子、千賀かほる、T.AKIRA(フィンガー5)、仲宗根美樹、中西圭三、西口久美子(青い三角定規)、浜村美智子、原田直之、福田忍、ペドロ&カプリシャス、Mr.中村半次郎、ペギー葉山、松原健之、山川豊、山本リンダ、蘭美智子、レミ&あい(セルスターズ)、渡辺マリ(歌の祭典より推薦出演)奥田健太郎、春日めぐみ、シラカワ夜フネ、新田晃也、優太朗、琉たけし
10月3日夜(司会)水前寺清子、合田道人(出演)あいざき進也、朝丘雪路、あべ静江、伊丹幸雄、小川知子、オヨネーズ、冠二郎、小宮恵子、坂本冬美、佐々木新一、五月みどり、サナレイ、沢田知可子、姿憲子、すがはらやすのり、須賀ゆう子、鈴木正夫、曽根史朗、高田美和、妻吹俊哉、津山洋子&高樹一郎、藤堂輝明、中西圭三、渚ゆう子、根本美希、林寛子、日吉ミミ、二葉百合子、ペギー葉山、ボニージャックス、松島アキラ、松前ひろ子、三沢あけみ、宮路オサム、三善英史、山本リンダ、吉崎和馬(歌の祭典より推薦出演)阿部さとこ、宇山保夫、奥山さとし、K淳子、東京カンカン娘、夏木えいじ、長谷川真吾、水奈月淳子
10月4日昼(司会)あべ静江、合田道人(出演)青木光一、青山和子、秋元順子、芦野宏、安倍里葎子、伊藤咲子、大川栄策、大塚文雄、鏡五郎、佳山明生、川島一成、北原ミレイ、齋藤京子、坂本紀男、清水まり子、静太郎、スリー・グレイセス、園まり、高田恭子、田辺靖雄、中西圭三、中村晃子、橋幸夫、畠山みどり、浜より子、藤正樹、藤原浩、ペギー葉山、真木ひでと、黛ジュン、三浦洸一、三鷹淳&わかばちどり、水田かおり、宮史郎、村木賢吉、守屋浩、森若里子、八汐由子、山本謙司、雪村いづみ、ロス・プリモス(歌の祭典より推薦出演)石垣まさひろ、ちあきまみ、山中明美、横浜一郎
10月4日夜(司会)あべ静江、合田道人(出演)青木光一、石井好子、泉ちどり、市川由紀乃、伊藤咲子、大場久美子、小野由紀子、加島達也、鹿島ひろ美、柏原芳恵、鎌田英一、北川大介、北原ミレイ、キム・ヨンジャ、九重佑三子、東風(こち)、古都清乃、こまどり姉妹、坂本スミ子、ジェリー藤尾、島倉千代子、白根一男、菅原洋一、高橋キヨ子、竹越ひろ子、田辺靖雄、中西圭三、中村あゆみ、野路由紀子、花村菊江、原田直之、藤田まこと、ペギー葉山、松平直樹(マヒナ・スターズ)、ミッキー・カーチス、森サカエ、森山加代子、山下敬二郎(歌の祭典より推薦出演)愛川京子、上野さゆり、川守宏、斉藤たまみ、貴津章、光川幸一、美山りか、禄大桂世
切符販売は、8月30日予定です。ひにちが決定していないのですがどこかの会で、尾崎亜美さん、巨人の角盈男さんがゲスト応援出演して下さる予定です。どうぞ皆さんもごらんに来て下さい。
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広島のコンサートの後の人間模様がコメントされていました。いい話でした。うえちゃんの了承を受けてここにアップしました
合田さん。
コンサート後の、少しの人間模様をコメントさせて頂きます。コンサート後、私は、余韻にひたれ、一人で春ちゃんに行ったら、春ちゃんのお母さんも、余韻にひたれながら、カウンターに座わられていて、私の手のパンフレットを見るやいなや、「うえchanも、コンサート行ってたの? 私も行っていたのよ。と。その後、昨日ね。・・・合田さんが、この店に来てくださって。・・・・」との会話をしていた後、合田さん達が、春ちゃんに来られたシチュェーションでした。
で、合田さん達がお帰りになった後、私は春ちゃんのお母さんと二人で帰りました(おくっていただきました)。その車の中で、春ちゃんのお母さん、ボロボロ泣いておられました。春ちゃんのお母さんのご主人は、約半年前に亡くなられ、そのご主人は、私も可愛がっていただいたのですが、本当に人徳のあるお方で、今回、私は初めて知ったのですが、童謡がお好きな方だったようです。
お店では、お客さんもいらっしゃり、また、息子さんもいらっしゃり、家路につく際、ふと、緊張感等の糸が切れたのだと想います。
そして、春ちゃんのお母さんが私に、「主人が生きていたら、本当に、今日のコンサート、聞かせてあげたかったわぁ。あとね、最後のアンケートでね、次は誰と聞きに来たいですか?の質問に、主人と書きたくても、主人がいないから、主人と書けなくてねぇ・・・。」
私は、春ちゃんのお母さんに、生意気ながら、「それはね、ちゃんと主人と書くべきだったと想うよ!」とお伝えしました。「人間って、失って初めて、大切さ等にはじめて気づくことが多いよね。でね、あのアンケートは、N社さんが、今後のコンサート開催のためのアンケートだから、今、ご夫婦健在の方が一緒に聞けば、ご主人等を失う前に、ご一緒にコンサートを聞ける方が増えるでしょ!」っていう会話をしました。 すごく、同感してくれていました。
次に、私は、春ちゃんのお母さんに、「合田さんたちが、コンサートの後に「春ちゃん」に来て下さったでしょ。これに、すごい意味があると想ってるよ。」ってお伝えしました。「でね、翌日に来てくださるって言う事は、春ちゃんの前日の雰囲気や対応がよかったという事とも言えるよ。だって、合田さん達って、何度も広島にお見えになる事ってないでしょ。それを2日つづけてお越しいただいたんだから。」
それと「あと、合田さん達のお人柄もあると想うよ。たぶん、前日、お母さんが、コンサートに行くよって言う話を、合田さん達が知ったから、是非とも、生の感想をお聞きになりたいっていう、あの人たちのお人柄だとも」。そのあと、春ちゃんのお母さんが、私に、「そこに偶然、うえちゃんが来てくれるなんて、ほんと、世の中の偶然っていうか運命よね」。
このコメントで、お伝えしたい事は、私もですが、春ちゃんのお母さんは、コンサートが非常によかった事、そして、前日に、偶然にも合田さん達が、お店に寄ってくださったこと、そして・そして、コンサート後に、お店に寄って下さった事が、何より、今後の生きる力にもなったような事をおっしゃっていました。
合田さん、本当に有難うございました。
こちらこそ、ありがとうございました。ママさんにもよろしくお伝え下さい。心に届いたというのならそれはとても嬉しいことです。そしてそれはきっと原爆ピアノの何かがピアニストの高橋希を動かし、そして僕にパワーをもたらしてくれた気がしてなりません。
これからも「里の秋~星月夜入~」を大切に歌っていきたいと思っています。皆さんもうえちゃんから届いたこのメッセージにコメントをお寄せ下さい。
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感動と感謝のコンサートの後で、ホテルに衣装と荷物を預け、実は前日もお邪魔した、広島といえば“お好み焼き”・・・春ちゃんというお店に行って、ちょっと打ち上げ。ママさんはステージを見に行って下さっていました。そしてそこにもうコメントでおなじみ(?)の“うえちゃん”というお客さんもいて、彼も見に行って下さっていたんですって。それがプログラムに一曲ずつ、僕がステージ上でしゃべったこととかをメモしてくれていて、なんと「里の秋」に◎をつけていたんです。僕はすかさず「この◎は何ですか?」と聞きましたら、「今日一番よかった歌です」と答えて下さったのですよ。彼から届いたブログへのコメントはとってもステキでしたから、次にアップしておきます。ママさん、“うえちゃん”ありがとうございました。また広島に行きたいです。おいしかったなあ、それにしてもお好焼き。広島焼きっていうんだよね、こっちでは・・・。おそばが入ってて。お店にサインを書かせて頂きました。
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夜からのステージですが、音合わせ、リハーサル、ドライなどで本番まで何回も歌ったり場所決めをしたりします。今回ご一緒なのは「会いたい」の沢田知可子さんと「千と千尋の神隠し」の主題歌、あのライナーという楽器と一緒に歌う木村弓さん。
広島NHK児童合唱団のお友達も一緒です。
沢田さんは「しゃぼん玉」、木村さんは「七つの子」と、いつも私のステージでは欠かせない2曲を歌いましたが、面白かったのは沢田さん。会うなり「私、合田さんのCDを聞いてステージで童謡を歌うようになったんです」だって・・・。そして「今日、ご本家に会えて嬉しいです」と。こんな方もいらっしゃるとは、不思議な感じでしたよ~。
僕は「里の秋~星月夜入り~」と、(「星月夜」をイメージした舞台セット)レコーディング以来ほんとに久々に「花の街」を高橋希ちゃんのピアノで歌いました。希は「里の秋」のレコーディングスタッフでもあるしねえ。
(花の街に合わせて、今度はピンクの花をあしらった舞台です。きれいでしたよ)
そしてなんとその伴奏ピアノが原爆を受けた“原爆ピアノ”だったのです。
何かに押されるような、何かが音を紡いでいるようなこれまた不思議な感覚です。とても感動しました
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広島は今年の1月に行って、童謡コンサートをした町です。そこで広島ゆかりの鈴木三重吉(童謡運動の生みの親。原爆ドームの前には碑もあります)の話をしたり、永遠の平和を訴えて「里の秋」などを歌ったのです。そのときの縁でたった半年足らずでまた広島の地に足を運ことになったのです。それも広島入りしたのはあの原爆投下の日、コンサートの前日でした。意義ある日に私は広島入りしたのです。すぐ会場入りして司会打ち合わせ。今回はNHK広島局の人気アナ、丸子ようこさんとご一緒させて頂きました。段取りなどをお話して、そのあと会場近くの原爆ドームや平和公園に足を運びました。
たくさんの人が祈りを捧げています。今の平和をありがとう・・・と、感謝せずにはいられませんでした。 ここが原爆爆心地。現在は病院になっている。
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昨日のコンサートの広島から東京駅、その後歌手協会に寄って事務所に戻りました。広島での思い出をかくまえに早速、昨日のコンサートを見て下さった「うえちゃん」が、下の歌謡祭の所にコメントを書いて下さってありがとうございます。追って広島でのコンサートのことは書き記しますが、胸に沁みるコンサートができました。あの原爆の日の夕方に広島入りした僕たちは、とうろう流しを見て
そして改めて原爆ドームを見て、祈りました。平和への感謝を感じずにはいられませんでした。その思いを込めて「里の秋」を歌いました。まずは何はともあれ「うえちゃん」コメントありがとう。
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